いなりじんじゃ

稲荷神社


名称
稲荷神社
よみ
いなりじんじゃ
所在地
稲荷2丁目

稲荷神社には、富樫家通[いえみち]と狐の話が言い伝えられています。
「家通は、白河天皇[しらかわてんのう]が全国に労役を命じた鳥羽離宮[とばりきゅう]の造営のため京都に向かいました。その途中で怪しい夫婦に「鳥羽の里に住む者ですが、わが子が離宮造営の石垣に閉じ込められているので救い出して下さい。わが子を救って下されば御恩はけっして忘れません」と懇願[こんがん]されました。家通が離宮の石垣を崩したところ、穴の中に白い3匹の子狐がいたので助けてやりました。家通の夢に稲荷大明神が現れ「白狐の命を助けてくれた恩として末永く家運を守る」とのお告げがあり、その後、富樫家はいっそう栄えたので、その霊異[れいい]を崇敬[すうけい]し、長治[ちょうじ]元年(1104)に稲荷大明神を祀りました。これが今の稲荷神社であるといい、祭礼には小豆飯[あずきめし]を供えてあがめました。これに習い人々はお祝いの行事に小豆飯をこしらえて神に供え、親戚や近隣に配って祝いを表す風習が生まれ、これが加賀の赤飯の起源である」という興味深い話です。