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- 種類
- 史跡
- 名称
- 農事社跡
- よみ
- のうじしゃ あと
- 員数
- −
- 所有者または管理者
- 野々市市
- 所在地
- 住吉町地内
- 指定年月日
- 昭和45. 3.10
旧加賀藩士の杉江秀直[すぎえひでなお]は、国家の繁栄は農業の振興が不可欠と考え、東京学農社[がくのうしゃ]に欧米の農業技術を学びました。明治9年(1876)に帰郷[ききょう]した秀直は、近郊の農村青年に農具の改良や野菜の栽培、畜産など欧米の農業を教えるため、現在の本町2丁目から住吉町にかけての地に、農事社を創設しました。
明治19年(1886)には石川郡立[いしかわぐんりつ]模範農場[もはんのうじょう]と名称を変え、翌20年には日本最初の耕地整理と言われる田区改正[でんくかいせい]を実施しました。
田区改正は、小さな田を集約して大きな田にすれば畔[あぜ]、農道、水路が少なくなり耕地が増えることから行われ大きな成果をあげました。
その後、村単位としては国内初の耕地整理が上安原村(現金沢市)で行われ、全国に波及していくことになり、日本における農地近代化の第一歩は野々市から始まったものと言えましょう。
この農場は明治35年(1902)に石川県立農事試験場と改称し、昭和34年(1959)創立の石川県立松任農業高校(現石川県立翠星[すいせい]高校)及び昭和37年(1962)設立の石川県農業試験場(現石川県農業総合研究センター)の前身になるものでした。