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- 種類
- 史跡
- 名称
- 富樫館跡
- よみ
- とがし やかたあと
- 員数
- −
- 所有者または管理者
- 野々市市
- 所在地
- 本町2地内
- 指定年月日
- 昭和45. 3.10
富樫家国[いえくに]が寛弘[かんこう]6年(1009)または康平[こうへい]6年(1063)野々市に築いた館の跡地と伝えられ、昭和42年(1967)6月に富樫卿奉賛会[とがしきょうほうさんかい](現富樫氏頌徳会[しょうとくかい])と金沢工業大学が、館の存在を広く知らせるために、石碑を石川線野々市工大前駅の隣に建てました。石碑の裏には、富樫館の場所について「富樫氏累代の居館したところ富樫城とも言い九艘川[くそがわ]と新兵衛川[しんべえがわ]を外壕[そとぼり](堀)とした區域[くいき]である」と刻まれています。
江戸時代の絵図や資料から富樫の館の位置は、本町2丁目から住吉町地内であると考えられてきました。平成6年(1994)の住吉町での発掘調査で館の堀の一部が発見され、南北朝期以降の館の場所が明らかになりました。この館は建武2年(1335)に富樫一族から初めて加賀守護に任じられた富樫高家[たかいえ]からの館で、守護所を兼ねたものと考えられます。