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- 種類
- 史跡
- 名称
- 住吉の宮
- よみ
- すみよしのみや
- 員数
- −
- 所有者または管理者
- 布市神社
- 所在地
- 本町2布市神社
- 指定年月日
- 昭和42. 2.11
住吉の宮は現在の布市[ぬのいち]神社にあたり、もとは富樫郷住吉[とがしごうすみよし]神社として、旧一日市通[ひといちとおり]・中通[なかとおり]・六日通[むいかとおり](一日市町・中町・六日町 現本町2・3丁目)の鎮守でした。この神社は、寛弘[かんこう]6年(1009)または康平[こうへい]6年(1063)富樫家国[いえくに]が野々市に館を構えた際、敷地内に社殿を造営したものと伝えられています。
大正3年(1914)、旧西通[にしとおり](西町 現本町4丁目)の鎮守であった照日八幡[しょうじつはちまん]神社と旧荒横通[あらよことおり](荒町 現本町1丁目)の鎮守であった外守八幡[そでもりはちまん]神社を合祀[ごうし]して布市神社と改名しました。同時に旧北国街道と押野へ向かう道の交差点にあった辻宮[つじのみや]と住吉川の上流にあった天神堂[てんじんどう]もこの社地に移転しています。
外守八幡神社の由来は不明ですが、照日八幡神社は建久[けんきゅう]年間(1190〜98)に富樫家春[いえはる]が勧請[かんじょう]し、天正[てんしょう]年間(1573 〜91)に本町4丁目に移ったと伝えられ、1918年(大正7)、社跡には当時の社標とともに新たな碑が建てられました。
住吉の宮には市指定文化財の脇差[わきざし](銘信長)が伝わり、社地には、市指定天然記念物の大公孫樹[おおいちょう]、江戸時代に日照りで水が不足したとき町内を担[かつ]いで廻った雨乞石[あまごいいし](別名、弁慶[べんけい]の力石[ちからいし])、京都聖護院[しょうごいん]の道興[どうこう]が文明[ぶんめい]18年(1486)に野々市を通過したおり詠[よ]んだ、「風をくる一村雨に虹きえてのの市人はたちもをやまず」の歌碑[かひ]がみられます。