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- 種類
- 典籍
- 名称
- 光松山八幡宮縁起(巻子本)
- よみ
- こうしょうざんはちまんぐう えんぎ(かんすぼん)
- 員数
- 3巻
- 所有者または管理者
- 野々市市
- 所在地
- 御経塚1-182ふるさと歴史館
- 指定年月日
- 平成 2. 5.29
巻物の形である因之巻[いんのまき]、縁[えん]之巻、果[か]之巻の縁起は、江戸の光松山八幡宮(穴[あな]八幡宮)の原本を書き写したもので、金沢城の金谷御殿[かなやごてん]から譲り受けた徳用の八幡神社が光松山八幡宮の分神であることを示しています。
縁起には3代藩主前田利常[としつね]が寛永18年(1641)に穴八幡宮の地形工事にあたったことなどの記載があり、穴八幡宮と前田家との密接な関係がうかがえます。
縁起の著述者は将軍家光の御側奉公[おそばほうこう]をつとめた大橋龍慶(長左衛門)で、因之巻の末尾に「寛永十八年十二月式部卿法印龍慶誌之」と記されています。縁起を書写した人物と年代、金谷御殿に納まった時期は不明ですが、穴八幡宮に伝わる縁起は明治40年(1907)の落雷による火災のため一部が損傷しており、この縁起はそれを補うものとして貴重です。
穴八幡宮は武州[ぶしゅう]豊島郡[としまぐん]戸塚村[とつかむら](現東京都新宿区西早稲田)に祀られた江戸でも有名な神社の一つで、3代将軍徳川家光をはじめとし加賀藩3代藩主の前田利常[としつね]も篤[あつ]く崇[あが]めたことが知られており、利常は金沢城に祀るため分神を願ったものと考えられています。