その他の画像
- 種類
- 記念物 史跡
- 名称
- 御経塚遺跡
- よみ
- おきょうづかいせき
- 員数
- 14,918.08m2
- 所有者または管理者
- 野々市市
- 所在地
- 御経塚1-549
- 指定年月日
- 昭和52. 3. 8
縄文時代後期[こうき]の中頃から晩期[ばんき](3,700 〜 2,500年前頃)に長期間存続した北陸を代表する集落跡です。
遺跡は御経塚集落の東側と国道8号線にまたがる南北約200m、東西約250mの範囲を中心域とし、昭和31年(1956)以来の28次の発掘調査で、竪穴住居跡[たてあなじゅうきょあと]6棟、円形掘立柱[ほったてばしら]建物跡20棟、方形掘立柱建物跡14棟、亀甲形掘立柱建物跡31棟、石囲炉27基、焼土遺構3基、土坑317基、配石遺構4基、埋設土器41基などが検出されています。
第1次調査では、石組みに納められた御物石器[ぎょぶつせっき]の発見と、北陸地方晩期前半(3,300年前頃)の指標となる御経塚式土器の設定が注目を集めました。
集落は中心部の広場を住居が環状に囲み、外縁部が墓域[ぼいき]となる構造で、住まいについても後期は竪穴住居であったものが、晩期からは掘立柱建物に変わることが確認されました。一時期の集落は2 〜3棟の住まいの一群が集落全体に5 〜6群ほど展開していたと思われ、人口は50〜80人ほどになります。
出土した土器、石器はおびただしい数にのぼります。食物を煮炊きした土器や、食糧の木の実を磨すりつぶした磨石[すりいし]と石皿[いしざら]、狩猟に用いた石鏃[せきぞく]、祭祀[さいし]・儀礼[ぎれい]・呪術[じゅじゅつ]に用いた道具の土偶[どぐう]や不思議な石製品の石棒[せきぼう]、石冠[せっかん]、御物石器などは当時の生活をしのばせる貴重なもので、近畿・東北地方と同じ文様が描かれた土器や新潟県糸魚川産のヒスイの玉類からは、人々の移動や交易を知ることができます。
縄文人の最も重要な活動は、自然から恵みをうける食糧の確保でした。季節が順調に巡り植物や動物が規則正しく再生を繰り返すことがとても大切で、晩期には自然に対してこの規則性を願うため祭祀や呪術行為が多く行われています。
昭和58年(1983)には史跡公園の整備が完成し、東半分は竪穴住居やトチ・クリの実る原生林を復元した学習区域、西半分は簡易なスポーツを楽しむ場として親しまれています。
隣接する野々市市ふるさと歴史館では、平成22年(2010)に重要文化財に指定された御経塚遺跡出土品や市内全域の発掘調査により出土した考古資料を見学することができます。