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- 種類
- 書跡
- 名称
- 金谷御殿御用方赤井喜内・山崎遐福翁覚
- よみ
- かなやごてんごようかた あかいきない・やまざきかふくおう おぼえ
- 員数
- 1通
- 所有者または管理者
- 野々市市
- 所在地
- 御経塚1-182ふるさと歴史館
- 指定年月日
- 平成 2. 5.29
徳用村が所属する富樫組十村[とむら]である瀬尾孫左衛門[せおまござえもん](孫三)の手代建部次吉[けんべじきち]が、明治4年(1871)8月に金谷御殿の御広式[おひろしき]に呼ばれたときに渡された覚書です。
覚書には、金谷御殿から八幡宮の御神体を徳用村の白山社に納めることが決まり、あわせて八幡宮の縁起書[えんぎしょ]一箱と銭百貫文を与えるとしています。
この後、8月27日に次吉は、ありがたき仕合せ、とした請書を金谷御殿の御用方に提出し、同じ日に徳用村肝煎の仕平「しへい」には八幡宮の御神体が徳用村の神社へ納めることになったことを通知しています。