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- 種類
- 書跡
- 名称
- 前田利長書状
- よみ
- まえだとしなが しょじょう
- 員数
- 1通
- 所有者または管理者
- 野々市市
- 指定年月日
- 昭和45. 3.10
前田利長は、加賀藩祖である前田利家[としいえ]の長男で天正[てんしょう]13年(1585)、豊臣秀吉より越中国32万石が与えられ、慶長[けいちょう]4年(1599)豊臣五大老の一人に就きました。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、能登国と加賀国の能美郡・江沼郡・石川郡松任の領地が加わり、利長は加賀・越中・能登を合わせて120万石を領有することになりました。
この書状(年不詳11月14日)は、江戸にいる家臣の山崎左京の祝い事について、斎藤刑部[ぎょうぶ]、寺西次兵衛が使者として祝儀の樽を持参することは必要ないとし、父の山崎長門もしくは年寄が出向くようにと指示をしたものです。慶長6〜15年(1601〜10)頃のもので、11月14日の日付の下に利長の署名があり花押[かおう]が据えられています。