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- 種類
- 重要文化財 建造物
- 名称
- 喜多家住宅
- よみ
- きたけじゅうたく
- 員数
- 主屋・道具倉・作業場・酒蔵・前蔵・貯蔵庫(6棟)
- 所有者または管理者
- 野々市市
- 所在地
- 本町3-8-11
- 指定年月日
- 昭和46.12.28
喜多家はもとは高崎[たかさき]姓の越前武士で、貞享[じょうきょう]3年(1686)に野々市に移住して灯油の製造販売業を始め、代々油屋治兵衛[あぶらやじへえ]を名のっていた。幕末からは酒造業に変わり、昭和50年頃(1975年頃)まで営んでいました。
喜多家の建物は、明治24年(1891)の野々市大火で一部を残してすべて焼失し、現在の建物は金沢市材木町の醤油屋田井屋惣兵衛[たいやそうべえ]の主屋[おもや]を買い求めて移築し同年の11月に完成したもので、移築時に、座敷まわりなどが整備されたほかは、移築前の旧態を各部によく残しています。
通りに面して間口7間半もある大型の町家で、表間口の6間余りと奥行き7間にわたって2階が設けられていますが、もとは2階の後に部屋をもたない古い形式であったとみられます。
表構えは、2階に太い格子[こうし]がはいり、両側に袖壁[そでかべ]が付き、1階はきわめて細い加賀格子をいれ、庇[ひさし]先にはサガリが取り付く加賀町家の典型です。
入口を入ると前方は通りニワとなり左手にはオエがあり、その境は上がり框[かまち]だけで、間仕切りをつくらず広い空間がつくり出されています。この部分は2階が設けられておらず高い屋根裏まで吹き抜けになるので、縦横に架けられた大梁[おおばり]や梁行に架かる二重梁、三重梁、その間に2段に貫[ぬき]が通る小屋束[こやづか]などの構造が仰ぎ見られ、意匠的にも洗練されています。オエは間口2間、奥行き5間の板敷で、大きな囲炉裏[いろり]が切られており、囲炉裏の中には波をイメージした美しい灰形が描かれています。
奥には座敷と茶室があり、外には茶室から折れ曲がりながら続く板縁[いたえん]と土縁[どえん]があります。座敷と茶室からは優美な庭園を眺めることができます。
主屋は、前面の奥行き2間の帳場の部分で屋根をさげていること、もとは2階後ろに部屋をもたないこと、オエの吹き抜けの構成などが、旧山川家住宅(元金沢市竪町:金沢市湯涌荒屋町に移築)の構成と似ていることから、江戸時代後期の文政[ぶんせい]〜天保[てんぽう]期(1818〜1843)頃に建てられたものとされています。
加賀地域に残る最も古い町家形式の建物として貴重なもので、金沢に深く根をおろした茶の文化に裏付けされた風雅な趣をもつ金沢町家の最高の家として評価されています。大火を受け改築した道具倉は移築したものではないが、町家の外観を示す一要素であることから、主屋とあわせて指定されました。
また、主屋の北側にある酒造や作業場などの酒造施設は、明治時代の酒造業の原型をよく残しているため、令和元年(2019)に重要文化財に追加指定されました。